鏡 阿布知神社伝来の唐式鏡

季節外れの台風の中、京都国立博物館の久保先生の鏡のはなしを聞きに行きました阿智村にある現在は神坂神社と呼ばれる
 神社があります古代の官道 東山道にあります境内には、樹齢二千年以上ともいわれている栃や杉の巨木があります。古木に囲まれた神域には、磐座ともいわれる「日本武尊の腰掛石」があり、園原の里の来歴を万葉仮名で刻んだ、「園原碑」「万葉集防人歌碑」などがあります。 ここにある花禽双鸞八花鏡と言われ日本に六カ所に保存される唐式鏡との関連の話をスライドを交え
わかりやすくおはなしをされました 中国の唐の鏡をもとに日本でコピーしたものではないかと、、、
 古代有力な郡衙に鋳型がありそこで唐式鏡をスタンプして鋳型に入れ作ったのではないか そうゆう場所に鋳型が出てくる
そうですしたがって何枚も作ると絵柄とうが薄れてきて年代が分かるそうです

唐式鏡
 鏡を見てみよう。前の二面は、鏡縁を八あるいは五弁の花弁に見たて、中央の紐を通すための鈕(ちゅう)を中心に一対の鴛鴦(おしどり)を配して、その周辺を瑞花文で飾る、「おめでたい」文様をもった鏡で、いわゆる「唐式鏡」に分類される。そもそも銅鏡は中国製のものが「最高位」に位置していた。その中国製の銅鏡を模倣することはすでに弥生時代から行われてきたが、奈良時代から平安時代にかけても同様で、中国の唐代の鏡(唐鏡)を日本で模倣したもの、それがいわゆる「唐式鏡」、唐の形式を写した鏡、である。



ではこうした鏡はどういう方法で、どこで作られたのであろうか? 銅鏡は銅と錫(すず)、そして鉛の合金で、砂で作った鋳型に流し込む、鋳造という方法である。鋳上がった後は鋳型から取り出し、銑(せん)というヤスリで鏡面を平滑にして、最後に水銀処理をする。

 作られた場所は、奈良時代から平安時代にかけて律令制度が維持された時代は、造東大寺司という中央工房を筆頭に、各地の国衙(が)だったようだ。この『いにしえの旅』のシリーズの中で、「銅製エイ珞(ようらく)付経筒」を紹介された赤司善彦さんの文章にも見られるように、「遠の朝廷」大宰府でも鋳造されていたことが知られている。しかし、律令制度が乱れ始めると、官営的な工房ではなく、民間工房の活躍が近年の発掘調査で明らかになってきている。